2015年05月14日
懐かしかったも
弟は、国に独り残してきた母のことが気がかりなのか、少し寂しげであったが…。
「お話によると、お父上と賊が、擦れ違い様にお父上と確認して背中から斬り付けているようですね。その時に、私の名前を告げたのでしょう」
「はい、そうだと思います」
「武者修行など真っ赤な嘘で、何者かに雇われた殺し屋が殺ったものでしょう」
「態々、江戸から殺し屋を呼び寄せたのでしょうか」
「それは、考え難いですね。流れ者の殺し屋でしょう」
それにしても、どうして自分の名前を出したのだろう。自分が恨まれるとしたら、盗賊楽天組の残党かも知れないが、全て磔になった筈である。或いはその家族か、あの皆殺し事件の時に居なかった仲間の逆恨みだろうか。それとも、殺し屋が咄嗟に口にした名前が、たまたま能見数馬だったのだろうか。
「雪さん、小太郎さん、今から北町奉行所へ行って能見数馬という男が、最近江戸を離れていないか調べて貰いましょう」
「お奉行様が、取り上げて下さるでしょうか」
「大丈夫です、お奉行の遠山さまは、私の友達ですから」
「これ数馬、お奉行さまを友達とは何事ですか、少しは口を慎みなさい」と母上。
北町奉行所の門前で「能見数馬ですが」と言いかけると、奉行所の門番は「また、お奉行に頼みごとですか」と笑ったが、すぐに門を開いてくれた。
「数馬、お前はこの奉行を余程暇人と思っておるようじゃのう」
「いえ、人がひとり殺された事件ですので、いや、一人ではないかも知れません」
「拙者の耳には入っておらぬぞ」
「はい、越後の事件ですから」
「そのような遠方の事件を、江戸の奉行にどうしろと申すのじゃ」
「下手人が江戸の者らしいからです」
「聞こう、申してみよ」
数馬は、雪と小太郎を奉行に引き合わせ、事の次第を申し上げた。
「その下手人の名が、能見数馬というのじゃな」
「はい、左様でございます」
「それで、数馬が自訴して参ったのか?」
「違いますよ、数馬は越後などへ行っておりません」
「その能見数馬という男の人別帳を調べろというのか?」
「はい、どうかお願いいたします」
「よし、わかった、今から調べさせよう。待っている間に、良いものを見せてやろう」
奉行は、配下の者に耳打ちをすると、若い役人は「どうぞこちらへ」と、奉行所の裏へ案内してくれた。
そこでは、同心が一人の若い町人に十手術を教えていた。
「数馬殿、このことは決して外部に漏らしてはならぬぞ」と、役人は特別の事だと勿体ぶるように言った。
指導を受けている若い町人は、数馬に気付き、「あっ」と声を上げた。 教えていた同心は「隙あり」と、町人の脳天を竹刀で打った。町人は、殺された目明し、達吉の倅仙一だった。 「話なら、稽古が終わってからにしなさい」と、同心は稽古を続けたが、仙一は浮き足たって打たれっぱなしだった。
稽古が終わらないうちに、奉行の呼び出しがあった。能見数馬という男は居ないが、最近越後に行って、重い怪我を負って帰ってきた高須庸介という浪人者が居たという。現在は小石川養生所で怪我の治療をしているそうである。
「どうだ、同心と目明しを付けるから、数馬得意の鎌をかけて問い質してみるか」
「鎌をかけるなんて人聞きがわるい、尋問ですよ」
数馬にはすぐに分かった。同心とは、先ほど仙一に十手術の稽古をつけていた若い同心で、目明しは仙一のことだろう。
「はい、行って参ります」
現れたのは、やはり数馬の推察通りだった。
「数馬さん、私は同心長坂清三郎、こちらは目明しの仙一です」
「長坂どの、よろしくお願い申します、仙一は私の友人です」
「そうでしたか、どうりで稽古途中、数馬どのを見て仙一はそわそわしておりました」
「すみません、懐かしかったものですから」
仙一は、腫れ上がった頭を撫でながら弁解した。
「事情はお奉行から全て聞きました」
「そうですか、こちらの二人が其の殺された長岡藩士加藤大介殿のご子息小太郎どのと、姉上の雪どのです」
「無念でしょうお悔やみ申す、それにしても、よく江戸まで無事に来られましたなあ」
「弟も、幼いながら武士の子です、わたくしをしっかり護ってくれました」
「いやァ、頼もしいですな」
小太郎は、ちょっと得意顔だった。
「お話によると、お父上と賊が、擦れ違い様にお父上と確認して背中から斬り付けているようですね。その時に、私の名前を告げたのでしょう」
「はい、そうだと思います」
「武者修行など真っ赤な嘘で、何者かに雇われた殺し屋が殺ったものでしょう」
「態々、江戸から殺し屋を呼び寄せたのでしょうか」
「それは、考え難いですね。流れ者の殺し屋でしょう」
それにしても、どうして自分の名前を出したのだろう。自分が恨まれるとしたら、盗賊楽天組の残党かも知れないが、全て磔になった筈である。或いはその家族か、あの皆殺し事件の時に居なかった仲間の逆恨みだろうか。それとも、殺し屋が咄嗟に口にした名前が、たまたま能見数馬だったのだろうか。
「雪さん、小太郎さん、今から北町奉行所へ行って能見数馬という男が、最近江戸を離れていないか調べて貰いましょう」
「お奉行様が、取り上げて下さるでしょうか」
「大丈夫です、お奉行の遠山さまは、私の友達ですから」
「これ数馬、お奉行さまを友達とは何事ですか、少しは口を慎みなさい」と母上。
北町奉行所の門前で「能見数馬ですが」と言いかけると、奉行所の門番は「また、お奉行に頼みごとですか」と笑ったが、すぐに門を開いてくれた。
「数馬、お前はこの奉行を余程暇人と思っておるようじゃのう」
「いえ、人がひとり殺された事件ですので、いや、一人ではないかも知れません」
「拙者の耳には入っておらぬぞ」
「はい、越後の事件ですから」
「そのような遠方の事件を、江戸の奉行にどうしろと申すのじゃ」
「下手人が江戸の者らしいからです」
「聞こう、申してみよ」
数馬は、雪と小太郎を奉行に引き合わせ、事の次第を申し上げた。
「その下手人の名が、能見数馬というのじゃな」
「はい、左様でございます」
「それで、数馬が自訴して参ったのか?」
「違いますよ、数馬は越後などへ行っておりません」
「その能見数馬という男の人別帳を調べろというのか?」
「はい、どうかお願いいたします」
「よし、わかった、今から調べさせよう。待っている間に、良いものを見せてやろう」
奉行は、配下の者に耳打ちをすると、若い役人は「どうぞこちらへ」と、奉行所の裏へ案内してくれた。
そこでは、同心が一人の若い町人に十手術を教えていた。
「数馬殿、このことは決して外部に漏らしてはならぬぞ」と、役人は特別の事だと勿体ぶるように言った。
指導を受けている若い町人は、数馬に気付き、「あっ」と声を上げた。 教えていた同心は「隙あり」と、町人の脳天を竹刀で打った。町人は、殺された目明し、達吉の倅仙一だった。 「話なら、稽古が終わってからにしなさい」と、同心は稽古を続けたが、仙一は浮き足たって打たれっぱなしだった。
稽古が終わらないうちに、奉行の呼び出しがあった。能見数馬という男は居ないが、最近越後に行って、重い怪我を負って帰ってきた高須庸介という浪人者が居たという。現在は小石川養生所で怪我の治療をしているそうである。
「どうだ、同心と目明しを付けるから、数馬得意の鎌をかけて問い質してみるか」
「鎌をかけるなんて人聞きがわるい、尋問ですよ」
数馬にはすぐに分かった。同心とは、先ほど仙一に十手術の稽古をつけていた若い同心で、目明しは仙一のことだろう。
「はい、行って参ります」
現れたのは、やはり数馬の推察通りだった。
「数馬さん、私は同心長坂清三郎、こちらは目明しの仙一です」
「長坂どの、よろしくお願い申します、仙一は私の友人です」
「そうでしたか、どうりで稽古途中、数馬どのを見て仙一はそわそわしておりました」
「すみません、懐かしかったものですから」
仙一は、腫れ上がった頭を撫でながら弁解した。
「事情はお奉行から全て聞きました」
「そうですか、こちらの二人が其の殺された長岡藩士加藤大介殿のご子息小太郎どのと、姉上の雪どのです」
「無念でしょうお悔やみ申す、それにしても、よく江戸まで無事に来られましたなあ」
「弟も、幼いながら武士の子です、わたくしをしっかり護ってくれました」
「いやァ、頼もしいですな」
小太郎は、ちょっと得意顔だった。
Posted by guiei at
12:28
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2015年05月06日
ラソンを5回走っ
ただ、TVの報道はいつも正しいとは限らないし、人の心を誘導する力も持っているから、鵜呑みは危険と思っているので、わりに覚めてみている部分もあります。
今年のテーマの「奇跡」も,ちょっとヤラシイナ~と思って見ていました。
でも今日はたくさん涙しました。
最近玉ねぎを切るときに目が痛いくらいで、たいていドライアイで目が痛い、乾燥してると感じていて、涙腺詰まってるんやないかと思っていたら、ちゃんと涙が人並みに溢れてきました。
被災した人が九死に一生を得た被災した場所で、あの日を淡々と語る姿は胸がつまりました。
当時中学生だった時、仲の良い友人が被災して亡保濕針くなり、心が傷ついて学校の授業でも歌を歌えなくなった中学生たちの話にはボロボロ出てきました。
間寛平さんが65歳で10種競技の1500mマスターズの日本記録更新を目指して走っている姿、TVと一緒に「負けないで~」と歌いながら、歌が続けられないほど泣けてきました。
でも、あれって正式な公認記録になるんかな?
それはともかく、生身の人間が己の肉体を使って頑張るスポーツって、人に与える感動の力はスゴイな。
で、城島くんも完走できました。
最後の方は、TVに向かって「城島がんばれ!おばさんも応援してるで」って大きな声で叫んでいました。
あれだけボロボロになっているように見えましたが、最台北機票後で1km8分でよう走らはったな。気力がすごかったんやなーと思いました。
ニンゲンって気力でどうにかなることありますもんね。
私は過去にフルマラソンを5回走って3回完走(ものすごく遅いですが)しています。完走できなかった2回はいずれも北海道マラソンで1度目は30kmで足切り(決められた時間までに地点を通過できない)、2度目は40kmで足切りにあい完走できませんでした。
マラソンって本当に普段走り慣れていない者にとっては、過酷です。お腹は減ってくるし、途中から筋肉痛がおこり、歩いている人よりも遅くなるほどカラダがあちこちガチガチになりました。私は初マラソンで完走はしましたが、横断歩道の白い線にもつまづくくらい足があがらなくなりました。
家に帰ってからは、家の階段を這って登るくらいの筋肉痛になったことを今でも覚えています。
Posted by guiei at
15:28
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